Rollei 35S

シンガポールには1974年頃にローライの工場がありました。ローライ35Sは西ドイツ製とシンガポール製があるわけです。
また、レンズもカールツァイスのゾナーと、ローライ製のゾナーがあります。
レンズの写りには生産国の差は感じませんが、ドイツ製とシンガポール製では、ファインダーが異なり、ドイツ製の方が一体型クリスタルプリズムを使っていて、シンガポール製よりも明るいようです。(ドイツ製の機体を持っていないので、比較のしようがありませんが。。。)
市場では、同じRollei 35Sでもドイツ製の方が売価が高い理由がわかりました。
(またシルバーボディとブラックボディでは、シルバーボディの方が人気があるようです。)

CHINON CE-4

チノンの絞り優先オート露出制御のハイスペックのペンタックスKマウントのカメラです。

国内販売よりも海外で多く販売されたモデルです。

M42マウントだったCE-3 MEMOTRONの後継モデルで、マウントがKマウントになっています。

巻き上げレバー前方には多重露出レバーがついています。

金属膜の縦走りフォーカルプレーンシャッターで操作感は良好です。

スペック的には同じKマウントで、マニュアルと絞り優先露出制御のついたペンタックスK2とほぼ同じです。

見易いファインダー内に発光ダイオードの露出計表示があります。

作りはしっかりしていて、大手メーカーのカメラと同レベルに仕上がっています。

M42スクリューマウントアダプターを使って、オールドレンズでもオート露出を実現しています。

オールドレンズの母機としても使い易いカメラです。


形式:35mm電子式メタルフォカルプレーン一眼レフ

マウント:CHINONバヨネットマウント(PENTAX K完全互換)

露出制御:絞り優先&マニュアル

被写界深度確認用絞込機構有

シャッター速度:B・8~1/1000

電源:LR44、SR44(3個)


チノン株式会社(英称:Chinon Industries Inc.)は、1948年(昭和23年)から2004年(平成16年)まで長野県に存在したカメラメーカーです。

1996年(平成8年)以降の本社は長野県茅野市豊平中大塩にありました。


1948年に長野県諏訪郡宮川村(現・茅野市)で創業。カメラの鏡枠・鏡胴の生産を手始めに8mmシネカメラ、35mmカメラなどの製造に進出し、自社ブランド「チノン」のほか国内外の多くのカメラメーカーにOEM供給を行っていました。


近赤外線方式オートフォーカスカメラを国内で初めて開発するなどしたが、1990年代に多角経営化に失敗し債務超過に陥ったようです。

その後コダック傘下でデジタルカメラ開発を手がけ、2004年(平成16年)にコダック子会社のコダックジャパン・デジタルプロダクトディベロップメント株式会社に事実上吸収合併されました。


商標「CHINON」は、コダック傘下入りまで旧チノン株式会社の関連会社だった株式会社三信商会が承継し、2005年に株式会社チノンに商号を変更。


同社が製造販売する電子機器やデジタルビデオカメラなどのブランドとして使用されているようです。


【技術的な変遷】

独自技術によるズームレンズ開発を手がけて次第に評価を高め、1960年(昭和35年)には自社ブランド「チノン」による8mmシネカメラ用ズームレンズの製造販売を開始しました。


1962年(昭和37年)には三信光学工業株式会社に改称して株式を公開し、「チノン・ズーム8」を皮切りにチノンブランドで8mmシネカメラを次々と発表しました。


1973年(昭和48年)に商標と同じ「チノン株式会社」に改称し、東京証券取引所第二部に上場。

1974年(昭和49年)には同時録音が可能なサウンド8mmカメラ「チノンダイレクトサウンド」3機種を発売し、サウンド8mmカメラの分野では国内トップメーカーの座を占めました。


一方スチルカメラでは、1971年に発売した距離計連動式のコンパクトカメラ「チノン35EE」を皮切りに、翌1972年にはM42マウントの35mm一眼レフカメラ「チノンM-1」を発売しました。


M42マウントやKマウントの35mm一眼レフおよびコンパクトカメラのOEM生産を中心に手がけ、輸出向けを中心にチノンブランドのカメラ製造販売にも力を入れたようです。


同じ諏訪地方のカメラメーカーヤシカや同社子会社の富岡光学とは部品や製品の融通で相互協力関係にあり、海外向けを中心に互いのブランド名を冠した製品があるようです。

CHINON CS / AUTO CHINON 55mm F1.7

チノンの絞り込み測光のオーソドックスなスペックのM42マウントのカメラです。

国内販売よりも海外で多く販売されたモデルのようです。

上位機種のCXの普及モデルで、いくつかの機能をなくして価格を下げています。

省かれたのは、巻き戻し横のバッテリーチェックボタンと巻き上げレバー前方多重露出レバーです。

金属膜の縦走りフォーカルプレーンシャッターで操作感はニコンのカメラにも劣りません。スペック的には同じM42スクリューマウントで、絞り込み測光のペンタックスSPとほぼ同じです。

作りはしっかりしていて、大手メーカーのカメラと同レベルに仕上がっています。

ファインダー内に定点合致指針式の露出計表示があります。

TOPCON UNIREX / UV TOPCOR 50mm F2

1969年に発売された最後のレンズシャッター式一眼レフカメラです。

元々普及機として発売されたのにクロームシルバーの外観がちょっと高級感あります。

標準レンズはUV TOPCOR 50mm F2で、TOPCOR レンズは名玉と言われています。

露出計内蔵のTTL測光で、スポット測光と平均測光を切り替えられまずが、電池が必要です。

でも電池がなくても機械式シャッターなので、写真は撮れます。

このレンズ、デジタルカメラでも使えるよに、マウント改造にチャレンジしてみようと思っています。

MIRANDA REⅡ / AUTO MIRANDA 50mm F1.8

ミランダは、前身であるオリオン精機産業が、国産初のペンタプリズム式一眼レフカメラであるミランダTなど、46機種を製品化し世界で販売したカメラメーカーでした。
戦後日本のカメラメーカー各社と比べても負けない技術力で、好調な輸出にも支えられ大成功した企業でしたが、日本国内では、徐々に大手カメラメーカーとの販売競争に勝てず、海外輸出に活路を求めました。
1968年、取引先のドイツの商社AiCがミランダカメラ社の株式を買収しはじめ、1969年1月、AICがミランダカメラの株式を100%取得し買収されてします。
その後、オイルショック以降の収益の悪化、カメラの開発の技術的立ち後れが重なり、1976年に倒産してしまいました。
残念ながら黒字倒産しましたが、その技術者魂を宿した製品の足跡はカメラ史に刻まれています。